大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和44年(し)50号 決定

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一弁護人秋山秀男の抗告理由一について。〈掲載省略〉

二、同抗告理由二および三について

所論は、憲法三一条、三九条違反をいう点もあるが、その実質はすべて単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四三三条一項の抗告理由にあたらない。

なお、刑の執行猶予言渡の取消決定に対する即時抗告棄却決定が当該刑の言渡を受けた者に告知された後に刑の執行猶予の期間が経過した場合には、この棄却決定に対して適法な特別抗告の申立があつても、同決定の執行が停止されないかぎり、同決定の告知により執行猶予言渡の取消の効果が発生し、刑の執行をなしうるものであることは、最高裁判所昭和四〇年九月八日大法廷決定(刑集一九巻六号六三六頁)の判示するところであつて、この判例は、正当として支持すべきものと認める。

よつて、刑訴法四三四条、四二六条一項により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定す。(下村三郎 田中二郎 松本正雄 飯村義美 関根小郷)

弁護人秋山秀男の特別抗告理由

一、(省略)

二、本件刑の執行に関する異議申立及び即時抗告の要旨並にそれに対する判断は次の通りである。

(1) 本件刑の執行の基本となつた裁判は、

「東京地方裁判所において昭和三九年六月四日被告人藤井秀男(本件申立人)を懲役弐年六月に処する、但し本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。その猶予期間中保護観察に付する。」

と云う判決であつた。

(右判決は同年六月一九日確定。)

刑法第二七条によれば

「刑ノ執行猶予ノ言渡ヲ取消サルルコトナクシテ猶予ノ期間ヲ経過シタルトキハ刑ノ言渡ハ其効力ヲ失フ」

と規定されておる。

右規定は刑の執行猶予の言渡を受けた者がその猶予期間中に全く執行猶予の取消の裁判を受けない場合は勿論、その猶予期間中に執行猶予の取消の裁判を受けても未だその裁判が確定しない間に猶予期間を経過した場合もその刑の言渡が効力を失う趣旨である。

この解釈は我が国憲法第三一条、第三九条が罪刑法定主義、法律の不遡及の原則、既判力尊重の原則を採用しておる点から又条理上からも刑の執行猶予の取消の裁判が未確定であつて上級審において刑の執行猶予の取消の裁判が取消されるかも知れない不確定の状態であるのに執行猶予の言渡が取消されたものであるとの取扱いをすることは許されない。若し右裁判が不確定であるのに執行の取消の裁判が確定したものとなすことは、結局憲法第三九条の法の不遡及の原則に反するものであり憲法第三九条に違反する解釈である。

刑の執行猶予の取消の裁判が確定してはじめて右刑の執行猶予が取消されたものとなすことは刑法、刑事訴訟法に一貫しておる法の精神でありその根源は憲法第三九条の法の不遡及の原則と既判力、尊重の原則に由来しておるのである。

(2) 申立人藤井秀男は前述のように刑の執行猶予の言渡を受けたが、その執行猶予期間中に刑の執行猶予の取消の裁判が未だ確定しない間に右執行猶予期間が経過したのである。

即ち申立人藤井秀男は昭和四四年六月七日東京地方裁判所において右刑の執行猶予の取消決定を受け、これに即時抗告をなし同年六月一二日東京高等裁判所において即時抗告棄却決定を受け、即日その告知を受け同月一七日右決定に対し弁護人より特別抗告をなし最高裁判所第二小法廷に係属中右刑の執行猶予の期間が昭和四四年六月一八日の終了と共に満了したのである。

よつて申立人藤井秀男は前記刑の執行猶予の言渡を受けたが刑法第二七条により刑の執行猶予の言渡を取消さるることなくして猶予の期間を経過したので刑の言渡はその効力を失い、最早その刑の執行を受ける必要がなくなつたのである。従つて現在では検察官は右刑の執行を指揮出来なくなりその執行を指揮しておることが不当となつたのである。

(3) 申立人の前記主張に対し、第一審の決定は、

申立人が刑の執行猶予取消決定に対する即時抗告棄却決定事件において執行停止の措置がなされておらないから検察官の刑の執行は正当であるとなし』

刑法第二七条の解釈として、取消の効果の発生には必ずしも猶予期間内に取消決定が確定することまでも要求する趣旨とは解されないし、また刑事訴訟法第四二四条、第四二五条に規定されているいわゆる執行停止の観念は取消決定についても充分親しむものというべきである。

刑の執行猶予取消決定に対する即時抗告棄却決定が猶予期間経過前に、刑の言渡を受けた者に告知された場合には執行猶予取消の効果が発生し、検察官は刑の執行を指揮することができるものと解するのが相当である。

もつとも右即時抗告棄却決定に対しては特別抗告の申立が許されるけれども、特別抗告は執行を停止する効力を有しないから右即時抗告棄却決定をした原裁判所または抗告裁判所である最高裁判所が決定の執行を停止しない限り、右執行猶予を取消した決定は直ちに執行できる状態になるものというべきである。

もとより裁判所は原則として確定した後にこれを執行することを建前とするけれども、その原則は刑事訴訟法に特別の定めがない場合に限られるのであつて、この点特別抗告については前述のように通常抗告と同様に当然には裁判の執行を停止する効力を有しないとされているからいわば特別の定めが置かれているものとみるのが相当であり、前述の解釈は申立人主張の憲法各条の趣旨に反するものでない』と判断し最高裁判所昭和四〇年九月八日大法廷決定(最高裁判所刑事判例集一九巻六号六三六頁を採用されておるのである。(以下省略)

(4) これに対し原決定は補定的に

「なお当裁判所は弁護人が非難する所謂最高裁判所判例および同判例を援用した原決定の判断はすべて正当であると認める」と認定し、第一審の決定及び前記判例を支持しておるのである。

三、併しながら第一審の決定及び原決定並びに最高裁判所の前記判例は刑法第二七条の解釈について前述のように我が憲法第三九条に違反する解釈をなしておるので原決定は破棄さるべきであり、又最高裁判所の前記判例も憲法第三九条に違反するものとして変更さるべきである。

その詳細は二の、(1)、(2)において述べた通りであるが更に附加して申述べることとする。

(一) 我が国の憲法は欧米各国が罪刑法定主義を採用しておるように罪刑法定主義を条文に明記しておるのである。

罪刑法定主義には四つの内容を包蔵しておるのである。

その一は刑罰法規がなければ如何なる行為もこれを処罰することができないということである。

その二は刑罰法規に違反する行為があつてもこれを罰するためには法律の正式の手続によらなければ、その法規違反を罰することはできないということである。

その三は、法の不遡及の原則である。

これは何人も行為の実行のとき適法であつた行為についてその後に制定された刑罰法規によつて処罰されることはないということである。

その四は一事不再理の原則、又は既判力尊重の原則である。

これは一度無罪とされた行為について刑罰を科せられないし又同一の犯罪について重ねて刑罰を科せられることはないということである。

我が国憲法は右一、二について憲法第一一条、第三一条、第三三条、第三四条、第三七条、第三八条(その中心は第三一条)に規定し右三、四について憲法第三九条に規しておるのである。

刑事訴訟法は、憲法第三章国民の権利及び義務の第十条乃至第四十条の各条項に従つて規定されており、いやしくもこれら憲法の規定に違反することは許されない。

刑法、刑事訴訟法に憲法に違反する規定があれば憲法に反する限度において無効であると謂わねばならない。

以上のような訳で刑法第二七条の

「刑ノ執行猶予ノ言渡ヲサルルコトナクシテ猶予期間ヲ経過シタルトキハ刑ノ言渡ハ其効力ヲ失フ」とは刑の執行猶予の言渡を受けた者が刑の執行猶予の取消を受けない場合は勿論、刑の執行猶予の取消の裁判を受けてもその取消の裁判が確定しない以上法律上右刑の執行猶予の取消があつたものとして断定出来ないので、その確定前にその執行猶予期間を経過したときはその刑の言渡が効力を失うと云う意味である。

これに反する解釈は結局憲法第三九条に違反するものと断ずべきである。

よつて原決定並びに第一審決定は憲法第三九条に違反するものとして刑事訴訟法第四〇五条第一条を適用して破棄さるべきである。

(二) 刑事訴訟法第四七一条には

「裁判はこの法律に特別の定めある場合を除いては確定した後これを執行する」と規定されている。

第一審の決定は即時抗告に対する特別抗告は刑事訴訟法第四二四条により裁判の執行を停止する効力がないから刑の執行猶予の取消の効果が発生し、特に執行停止の決定のなされない限り、これを執行することができるとなし刑事訴訟法第四二四条を根拠として確定しなくとも執行猶予の取消の効果が発生し、これを執行できるとなすものの如くである。

併し刑事訴訟法第四二四条は決定による抗告一般について裁判停止の効力がないという規定に過ぎない。

決定は主として裁判手続に関するものであるから決定に対する不服については即時抗告以外は裁判の執行を停止しないと一般的に規定したのであり、本件のように判決の内容を変更するような決定については適用がなく刑事訴訟法第四七一条の原則に従つて確定しなければ執行し得ないと解すべきである。

従つて刑事訴訟法第四二四条があるが故に刑法第二七条の解釈について「刑の執行猶予の取消決定に対する即時抗告棄却決定が刑の執行猶予期間内にその刑の言渡を受けた者に告知されれば右決定が確定しなくとも取消の効果が発生しその効果が確定不動のものであるとなす第一審の決定及び原決定並に最高裁判所の前記判例は刑法第二七条の解釈を誤つたものである。

即ち刑の執行猶予取消決定に対する即時抗告棄却決定については刑事訴訟法第四二四条の適用がなく刑事訴訟法第四七一条が優先して適用されるのである。

換言すれば刑の執行猶予取消決定に対する即時抗告事件については刑事訴訟法第四七一条が第四二四条の適用を排除するのである。

刑事訴訟法第四二四条が刑の執行猶予取消決定に対する即時抗告棄却決定についてもその適用があるものとする解釈は憲法第三一条第三九条、刑事訟訴法第四七一条に違反する解釈であり到底これを容認することは出来ない。

又刑の執行猶予取消決定に基づく刑の執行は刑の執行猶予の取消決定の執行でなくその基本となつた「被告人を懲役何年に処する」と云う判決そのものの執行である。

この意味で執行猶予取消決定自体にはその性質上執行の観念を容れる余地がない。この点から云つても刑の執行猶予取消決定事件には刑事訴訟法第四七一条が優先的に適用され、同法第四二四条の適用を排除すると解すべきである。

このような訳で執行猶予取消決定に対する即時抗告の棄却決定は単に執行猶予の取消決定を抗告審において是認したと云う効力を生ぜしめるだけのものであつてただそれだけの効果を発生せしめるに過ぎない。

即ち抗告審の裁判があつたと云う効果を発生せしめるにすぎない。

それは取消決定を確定せしめる効力を有しない。

それ故に一歩を譲つて執行猶予取消決定に対する即時抗告棄却決定についての特別抗告に執行停止の効力がないからと云つて執行猶予取消決定したということはできない。(同説前記最高裁判所の大法廷の決定の奥野健一裁判官の少数反対意見)。

以上のような次第で原決定及び第一審決定並びに前記最高裁判所の判例は刑事訴訟法第四七一条に違反するものであり右法令の違反は決定に影響を及ぼすべき法令の違反であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものであるから刑事訴訟法第四一一条第一号を準用して破棄さるべきである。

(三) 刑の執行猶予の取消決定に対する即時抗告棄却決定が刑の言渡を受けた者に刑の執行猶予期間内に告知されれば執行猶予の取消決定が確定しなくとも取消の効果が発生すると云う原決定及び第一審の決定並に最高裁判所の前記判例は刑事訴訟法が同法第四三三条の特別抗告を認めたことを否定するもので結局刑法第二七条、刑事訴訟法第四三三条に違反するものであり、原決定は破棄さるべきである。何故ならば刑の執行猶予取消決定の即時抗告につき刑事訴訟法第四三三条の特別抗告を認めておる以上特別抗告審において原決定が変更されることを予想しておるのである。右のように原決定を変更することを予想しておる以上法律が原決定を確定不動のものと見ておらないのであり、この見地から刑の執行猶予取消決定に対する即時抗告棄却の決定が刑の言渡を受けた者に告知されたとき確定不動の効果を発生するとなす原決定並びに第一審の決定は誤まりである。

即ち刑の執行猶予取消の法律上の効果は右取消決定が確定したとき発生するものと解するのが刑事訴訟法第四三三条、第四七一条、刑法第三三条(判決の刑の時効期間は刑法第三三条の解釈上執行猶予の取消決定が確定したときから起算するとの解釈とも表裏一致する。けだしこの解釈は刑の執行もこの時から開始し得ることを前提として始めて成り立つからである――同説前記最高裁判所大法廷の決定の奥野健一裁判官の少数反対意見)の規定に照らし明白である。

以上の次第で原決定及び第一審決定並に前記最高裁判所の判例は刑事訴訟法第四三三条に違反するものであり右法令の違反は決定に影響を及ぼすべき法令の違反であり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

よつて原決定は刑事訴訟法第四一一条第一項を準用して破棄さるべきである。

以上のように原決定及び第一審の決定は何れの観察からしても以上列記のような法令の違反があり、特に憲法第三九条の違反がありこれを破棄しなければ著しく正義に反するものである。

原決定と同旨の最高裁判所の前記判例も亦憲法第三九条並びに前記列挙の各法令に違反するものであり、この判例を変更しないままに放任するときは最高裁判所の威信と権威を失墜することになる。

速かに前記判例を変更すべきである。

かくて最高裁判所は憲法の護持者としてその尊厳を保持出来るのである。

而して最高裁判所において原決定を破棄した上、検察官に対し申立人に対する本件刑の執行を許さない旨及び本件刑の執行を直ちに中止せよとの決定をなされんことを切望する。               以上

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